このブログは現在、株式会社オープン・エーのスタッフとして働く石母田 諭さんが東北芸術工科大学の学生であったとき、2013〜2014年に綴ってくれたセルフリノベーションの記録です。あれから十年、久しぶりに当時を振り返ってもらいました。
解体予定の家が、気づけばたくさんの人が集まる場所になっていた。あの家は、いまも変わらず残っているらしい。
もう10年以上も前に山形R不動産の会議中に伝えられたのは、「2年後に解体予定だから、好き勝手に改装しちゃっていい物件があるよ」という言葉だった。
当時の僕は芸工大の建築環境デザイン学科に入学し、いよいよ念願の一人暮らし。
自分の部屋をあれこれカスタマイズしようと意気込んでいた矢先に賃貸住宅には原状回復義務というものがあって、基本的に何も手を加えてはいけないと知った時の絶望感はいまでも覚えている。
数年後、そんな感情も薄れていた頃に伝えられたその言葉は僕にとって寝耳に水であり、すぐに引っ越すことを決めた。
大学生が急に古い木造の一軒家を借りて家を改修しながら住む、というのはなかなかに特殊なケースだったはずだけれど、だからこそちょっと変わった生活を書き留めてみようかと、この「セルフリノベで暮らす」に記録してみようと思った。
自分の手で施工した塗装ムラのある壁や、少し歪んだ棚。
もちろんプロの施工とは比べられないほど大きなクオリティの差があるけれど、少しずつ自分の暮らしの場をつくる生活は、とても貴重な機会だった。
どんどんと手を加えるたびに変わっていく家と同じくらい、そこに暮らした時間のすべてが自分自身にとって学びになっていたと思うし、あの時の選択は間違ってなかったと今でもはっきりと言える。
当時、山形R不動産の活動で街中を歩き回り、空き家のリサーチやリノベーション企画などに取り組むことで「無い風景や空間は自分でつくればいい」という経験や思考の積み重ねがあり、だからこそ自分の生活を実験空間ことに迷いがなかったのだと思う。
そのあと、僕は研究室の先生で山形R不動産の立ち上げ人でもある馬場さんの設計事務所「Open A」に入社することが決まり、上京するために2年ほど住んだこの家を離れた。
「2年後に解体予定だから、好き勝手に改装しちゃっていいよ」。
この言葉の通りであればすぐに解体されると思っていたけれど、どうやら10年以上経った今でも建物はその場に残っているようだ。
更には「すぐに家賃が上がって貸し出されている」という情報が耳に入ることもあり、最初はただ壊される想定だった一時的な住まいの価値を高められた、というのは若い頃の自分にとって大きな経験と成果だったと思う。
気づけばそれから何年も経ったけれど、小さな平屋はいまも変わらず佇んでいて、その間にもどこかの誰かが住み替わりながら、ひっそりと変化しているのかもしれない。
山形R不動産も十数年の時間を経てリニューアルするという報せを受け、この文章を書いてみている。
僕が所属していた時から変わったこと、変わらないこと、いろいろあるだろうけど、リニューアル後の情報発信や活動をとても楽しみにしている。
そしてせっかくであればちょっとしたネタがあるときは、こうしてコラムを更新しながら、この十数年や、いま取り組んでいることなど、たまには振り返ってみようと思う。