山形R不動産の代表であり、地元の不動産会社「千歳不動産」の代表取締役と、リノベーション会社「株式会社マルアール」の代表取締役も務める水戸靖宏は、農家という顔も持っています。不動産業と農業を掛け持ちする兼業農家のリアルを2011年から綴ってきたこちらのブログが、10年ぶりに更新されました!
2025年 4月
こんにちは。私、不動産業にもかかわらず専業農家だった父の急逝により突然兼業農家になった水戸です。
あれから・・・、かれこれ14年が経とうとしております。
えっ?・・・それがどうかしたかって?
・・・いえ、別に、特段どうしたわけでもないんですが・・・
まだ、やってるんですよ。
2025年1月 ラフランスの剪定作業。晴れた日は脚立のてっぺんからこんな眺めに癒されます。思い起こせば最後のブログ更新が2015年11月、あしかけ10年、毎年毎年一連のルーティンワークともいえる作業を、馬車馬のように黙々と続けてきました。
ウィークデーは会社で不動産業、ときおりリノベーション業を挟み、週末は農業、という生活で、どれが本業なのか?
・・・っていうか本業って?・・・全部本業ですけど?
2025年3月 リンゴ園、今期初の消毒。(果樹栽培には大切な休眠期防除)この10年、いろいろありましたが、大きな変化は、母が5年前に倒れて再起不能になり施設へ入所したこと。この時は、ついに兼業農家を諦める時だと思い、今度こそ辞める決意も固まりつつありました。今思えば、それがまともな会社員に戻る最後のチャンスだったのかも。
母は本当に働き者でした。例えのごとく「夜明けとともに起きて畑に出て行く」その働き方に教えられ、触発され、前日飲み過ぎて帰っても翌朝寝ていられなくなる謎のモチベーション(プレッシャー?)を持たされたもんでした。
結局、自分が高齢の母を無理させて倒れさせてしまったのか?・・・
なんて後悔したり、母ができなくなり一人ではもう農業は無理だと思いながら、それでも家業をやり抜いてくれた両親が残した畑、捨てるに捨てられず雪の中で剪定作業に出かける自分を見ていた妻が、見るに見かねて就農を決意。(したらしい)
「私が会社辞めて、お母さんの代わりに畑やろうか?二人でできるかな?」
おお・・・神よ。捨てる神ありゃ 拾う神もあったもんだ。
あれほど辞める方に傾いていた自分が、その言葉を聞いた途端、
「二人ならできる。ていうか、それ悪くないんじゃない?
今は世界も混沌として、原発事故だの環境破壊だの食料不足だの・・・云々、
日本は食料自給率も低すぎだし・・・云々、中国や北朝鮮が・・・云々、
これからどんな時代が来るかわからないけど、自分の手で食を作る農業って仕事は絶対に大事だよね。素敵だよね。農業には未来しかないよね!?」
みたいに、口から出まかせを、もとい、未来への前向きな夢を熱く語り、農業を継続できるチャンス(?)を逃すまいと、想定もしてなかった説得を始める自分がいたのでした。
そして、急遽、妻がそれまで勤めてきた会社を辞めて専業で農業従事者となり、今は自分と妻の二人で Brand New水戸農園を経営しています。
えっ?・・・自分は?・・・引き続き兼業ですけど?
2024年初秋 リンゴ園で管理作業。自分が兼業農家になって母と二人でやってたころは、妻は以前の自分と同じように農繁期の家族総出でやらなきゃこなせない、田植えや収穫作業などの手伝いしかしたことはありませんでした。
しかも、妻と結婚させて下さいって挨拶に行った時に妻の父から、
「お宅はご両親が専業農家だろうけど、娘に苦労させたくない。農作業は絶対やらせないって約束するなら、娘を嫁にやってもいい。どうなんだ?」
って詰め寄られ、自分は男らしく、
「お父さん、自分は農業継ぎませんから、娘さんには絶対に農作業なんてさせません!約束しますから!」
って約束して結婚の許しを得ていたのでした。(お父さん、申し訳ございません。)
経験もないまま急に就農した妻は、最初はやっぱり慣れない作業で相当苦労していました。一日も休みなく、苦悩と疲労で精いっぱいの毎日なのに、自分は平日は会社に行ってるから聞きたいことがあっても聞けない、二人で農業やってるとはいっても、ほぼ一人農業。(・・・妻よ、申し訳ございません。)
こういうところも、兼業農家のつらいところ。
それでもメゲずに毎日の管理作業をやり続けてくれた結果、まだプロの技っていうわけにはいかなくとも、今では完全に一人前の主力となってくれています。
2024年秋 リンゴの葉摘み作業。こういう毎日の大事な管理作業は、妻が主力になっています。兼業農家になって14年、毎年毎年、悩みながらなんとか続けてきた農業。
2024年は異常な猛暑に見舞われ、主力商品のサクランボはほぼ全滅でした。
でも確実に言えることは、農業はやればやるほど奥が深く、毎年何らかの災害やトラブルや問題を抱えながら、自然に逆らうこともせず、ただひたすら「毎年一年生」として「百姓の来年」を信じて、黙々とやるべきことを続けるということも、疑わずに、動じずにできるようになったようです。腹が座ったってことか?
※農業語録 「毎年一年生」「百姓の来年」・・・母がよく言っていた言葉です。
農家では、天気も気温も自然災害も毎年違う条件の中で栽培することから、失敗と成功を繰り返し、それでもまた春には一から作業を始める心構えとして、「毎年一年生」と言ったり、今年は良くなかったけど来年こそはきっと、と意気込むが翌年もまた別の失敗を犯すことを揶揄して「百姓の来年」と言ったりします。
天の恵み=不確定要素だらけの農家にとって「来年こそ」は永遠のテーマでありロマンなのです。
そして思うのは、やはり農家の長男のDNA、オレって百姓なんだな~、なんて自覚をすることが多くなった気がします。
兼業農家15年目の春、もうすっかり雪もなくなりこれから一気に春の農繁期に突入するというのに、不動産業も繁忙期だし、まだ剪定も終わってないし、でもどんどん天気よくなってくるし、っていう焦りと苛立ちの中でこれ書いてます。
とにかく、このブログ、水戸農園が続くかぎり、これから時々また書きます!
山形R不動産のリニューアルに際し、特にリニューアルもなく相変わらず兼業の山形R農園も、あらためてよろしくお願いします。
つづく